本崎という苗字は案外珍しいらしい

一日の終わりにその日を振り返る

11/25の日記

昨日は疲れていたので、書きませんでした。

 

今日はマーラーの6番を聞きながらです。

 

長々と今浮かんだことを書いてみる。主張自体はよく見かけるものなので文章構成を楽しむ(楽しめるかは別として)か文字密度の高いところを飛ばしてください。

 

学問の面白さを伝えるにはその実用性ではなくその楽しさを伝えるべきである。

どうしても勉強という苦痛じみた事柄を人にやらせるには将来だとか社会だとかにおいてどう影響するかを説明したくなるがそういうのは根源的に負のエネルギーを帯びている。「やっておかないと将来後悔するよ」というのは明らかに「後悔」という負の言葉が含まれているし「社会ではこういう使われ方をしている」というのも「これがなければ不便だから使っている」という後ろ向きな姿勢で捉えられかねない。

でも学者や研究者が本当に好きで「こういう研究をやっている」と目を輝かせながら言ったならばそれは純度100パーセントの正の感情、具体的には喜怒哀楽の四番目になるわけだ。

野球選手に憧れる子供は毎年いる。それは大概「かっこいい」と思ったからであり、野球選手がどうしてそう思われるかといえばその選手が野球が好きで楽しんでいるからだと思う。別に野球選手は野球が社会においてどういう影響を与えるかなんて語らない。スポーツは広告として便利な媒体だからとか言われたら興ざめだ。

とにかくまずはその面白さだけを純粋に伝えればよいのであってそれで興味を持たれないならその子には落第しないだけの学力を保障してあとは本人がもっとやりたいことをさせればいいのである。今では不真面目の象徴のように扱われていたゲームでさえ金が稼げる時代で(無論、簡単には稼げないが)、やりたいようにやらせ続ければいいのではないかと思う。勿論これは理想論でそもそもやりたいことをやりたいだけやるには経済力がいる。そのあたりは無責任に「どうしようもない」とだけ言っておく。そこを触れると主題がずれるので社会について詳しく語ってくれる別の人に任せておこう。

 

では今日の振り返り。

昨日と今日で親戚たちに自分の街を案内した。案内といっても僕の街は観光地なので向こうが勝手に行きたいところを述べるからそこまでの行き方を伝えたまでだが。思いのほか楽しかった。久々に会った親戚とはやや気まずかったがまた正月に会うだろうし、その時にもっと話そう。

結構歩いたり移動が激しかったので疲れてしまった。最後の方はドタバタしてしまったのでやや名残惜しいが、個人的には満足できたと思う。

 

前半のお気持ち表明タイムを飛ばした方にとっては3回の改行で本文が終わってしまったので、そんな方のためになぞかけを用意しました。もちろん全部読んでくださった方も遠慮と期待をしないでお楽しみください。それでは参ります。

 

第二外国語」とかけまして「ゴーヤ」と説きます。

その心はどちらも「にがい」です。

 

マラ6の三楽章も終わり日記もキリがついたので今日はこれでおしまい。この後夕食と楽器の練習を控えている。ハンマーを聞けなかったが仕方ない。

なみっちでした。